かつて何者にでもなれた私へ

根拠もないのに自分を特別な人間だと思えた私へ。

自分が何をしたいかとか、何ができるのかとか、

いくら考えても見つからない。

見つからなくてもいいよって言ってもらえるのは20代までな気がする。

30代って生き方っていうか

何もかもにこうすべき!こうあるべき!みたいな

見えない圧力に則って歩まなきゃ「いけない」考え方に支配される。

そんな大人になりたくないよ〜って変わったことをしたいんだけど

結局変われなくてこんな時間にブログを書いてるって

本当に意味ない。

美容品はやめられない、犬がいるから気を使って買ってないけど

欲しい服だってたくさんある。

自分らしさをやめたくない。

例え何者にもなれなくて大勢の中の1人でも。

 

 

友人と遊んだ時の話

友達がふと、「シャンプーしてる時に嫌なこと思い出さない?」と言った。

もう1人の友達はわからないと答えたがその隣で私はブンブン頭を縦に振り、

当日のことや数年前の嫌なこと、中高生の時の思い出など

とにかく嫌なこと不快なこと怖かったことむかついたことが

シャンプーしている時にばっかり思い出される話をした。

そして思い出した瞬間に、それが嫌で大声を出すことや歌うことなども赤裸々に打ち明け、

どれも共感しかなくて、お互いネガティブな体験なのに大いに笑った。

ちなみにもう1人の子は無なことが多いし嫌なことは寝ると忘れるタイプだそう。

職場を一歩出ると仕事のことを全く考えないらしい。

羨ましいにも程がある。

他人が意識していない言葉に傷つき、長い時間が過ぎても幾度となく打ちのめされ、

悲しくなる。こんなに憂鬱なことが頻繁にあってたまるか。

と思うけれど、悔しいかな、頻繁に起きてしまうのがシャンプーの嫌なところ。

自分でもなんでこんなに繊細なのかわからない。

わからないし、大胆というか大雑把な人だけが堂々としていることにも腹が立つ。

こういうことばっか気にして話してるから神経質とか気にしいと言われるんだろうけど

それのどこが悪いんだろう。こっちだって好きでネガティブやってないわ!

傷つけられた・傷ついてしまった体験があるからこそ

他人に優しくしたい、言葉遣いには気をつけたいと思う日々だわ!

、、、みたいな話もしたし、ウダウダ過去に囚われて生きていくのも

本当にしんどいということが、自分だけではなくて身近に感じられて

どこか救われたような気がする。

弱さは誰にだって潜んでいるものだな。

みんながみんな上手く生きれているわけではない。

根本の解決策は無くても、1人じゃないって安心感。それだけで救われた1日だった。

燃費が悪いから、また少ししたらこの楽しい思い出だけでは生きていけなくなるんだよなあ。

それも仕方ない。悲しいけどね。

そうしたらまた、バカ笑いするために集まろう。本当の自分を偽らず曝け出そう。

B'zのギリギリchopを爆音で流しながらシャワー浴びよう。

社風に負けるな!!!!

 

終わり。

落日

FNS歌謡祭で東京事変が落日を披露していた。

私の記憶の中で、地上波で聞いたのは初めてだったと思う。

中高生のころ、椎名林檎東京事変をよく聴いてたので懐かしさと

月日が経っても色褪せない名曲っぷり、それを保ってるパフォーマンス力に痺れる夜でしたね。

茜さす帰路も記憶に染み付いてる曲だなあ。

Salyuとか冨田ラボとかCoccoとかもね。

冨田ラボはfeatハナレグミの眠りの森が最高に大好き。

眠りの森を聴いてると雨の中を連想する。

駅からの帰り道、雨が透き通ってご近所の植木や塀や雑草、道なんか全てを濡らしてて

水が滴ってるだけなのに普段の世界が生き生きとしてくる。

空気感というか雰囲気とかにまとまりが出てくるように見えてくる、

この曲がかかってるだけでそんな風に感じさせてくれるっていうか。

 

駅とか言ってるけど駅が身近になったのって20超えてからだな。

田舎は田舎の良さがあるけど、外に出ないとわからないことばっかりだったなって

地元を離れたことで実感した。

高架線ってなんだろう、歩道橋ってなに、駅のホーム?改札?スクランブル交差点?

マック?三国駅?内回りと外回りって何…とかとか。

もちろんネットで調べればどんなものかはわかるけど

体感しないとエモさや重みがわからない。

18歳で地元を離れて、知らない土地で暮らして初めて知った戸締りや

近所の人とは挨拶を交わさないこと、駅でぶつかっても謝ることの方が少ないこと、とか。

そういうのも出なければ知らなかったな。

今は都会にも田舎にも順応できていると思う。

歌詞や小説に出てくる言葉で戸惑うことはないし、

田舎の不便さや自由さやルールも忘れていない。

もっといろんなことを思ったり考えたり出来る様になった。

言葉にできるかは別として。

話すのはうまいんだけど打つのが下手なのでここでまた練習していきたい。

以上、久々のはてなでした。おやすみなさい。

死にたい金曜日

一度鬱を経験してから、

ちょっとしたことが気になったり、

他愛もないことで傷ついたり、

過敏になって泣きたくなったり、

反射的に死にたいと思うことが増えた。

怒られ方ひとつ、同僚との会話ひとつが

わたしを傷つける材料になる。

耳も口も封じていたい。

死にたい。

楽しい花金もしんどい。

しんどいからすぐ帰る。

帰っても、ああ、あの人より早く帰っちゃったとか色々考え込んで

また死にたくなるんだけど。

でも本当に死にたいわけじゃない。生きていたい。長生きしたい!

なんでか悲しみの最上級が「死にたい」になってしまった。

怒ることも疲れて、ぐずぐずともたついた感情に捕われている。

心も体も重くなって立ち上がれない。

だからいつでも死にたい。

お前のせいだよ、こんなに死にたくなるの。

#誰

東京っていいよね、どんな格好・髪型・メイクして歩いてても何にも言われない。

人がたくさんいて多種多様で、ちょっとズレてても流されていく。

この中で見つけてもらうのは大変かもしれないけど、

誰にも見つかりたくない私みたいな存在からしたら天国だ。

田舎で服装をバカにされてたあの頃を思うと胸が苦しい。

浮いてて、いじられて、褒められなくて、目についてしまう。

好きなものを着て好きに歩いてるだけなのに

好きなものを取り込むほどにバカにされる。

東京はそんなことない。

誰でも何でもそこにいていいんだよって受け止めてくれる。

だから助けて欲しい。

都合が悪いといじめられる都会を助けてあげて欲しい。

気づいたら最高気温が15度になっていた

面白いくらいに書いてなかった。

なんだったら忘れてた。

人生長続きすることなんて何一つない。

どうしてこうも飽き性なんだ。

書くことは山ほどあったし、思うことも海ほどあったし

伝えたいことは川のせせらぎのようだったよ…

人にあわないっていうのもあるけど、

かなり閉鎖的な暮らしになってる。

物理的にも精神的にもふさぎ込んでいて

いつも以上に感傷的になって勝手にマイナスな電波を受信して

被害妄想みたいな悪循環に陥っている。

ほんとにはやくコロナおさまらねーかな!

毎日コロナに怯えながら通勤するのだるい。

家で仕事したい。出来るなら。可能なら、本当にお願いします。。

 

 

ふさぎ込んでいて気づいたんだけど、

改めて私はどんなに自分が嫌な状況でもご機嫌でいたい、

というか私情で他人への態度を変えたくないと思った。

理由としては父親が気分屋で嫌な思いをしたから

自分がそういう低俗な人間になりたくない、

周りと調和がとれた関係でいたい気持ちから来てるんだけど

世の中は結構トゲトゲしていて

気分の上がり下がりで態度を変える人はがめっちゃ多い。

良くも悪くもコロナはいろんなものを改めて暴き出す存在だな。。

 

ストレスたまってんだね!発散の仕方わかんないんだね!

だからと言って雰囲気悪くすんのやめろよな!

ってイラつく。イラつくっていうか傷つく。

ずっとご機嫌でいるのは無理だし、怒ったり悲しくなるのはいいんだよ、

それを関係のない人間に丸ごとぶつけるなよって思う。

感情投げられるといてえよ。いてえのはやめろよ。

疲れるじゃ~~~ん!!みたいな。

コントロールできない人間こわい。

自分もそうなってないか心配になってさらにふさぎ込む。

 

どうしても悲しくなったりすぐ怒ったりしてしまうけど

自分の機嫌は自分でとって、楽しく生きていきたい。

私自身も他人も嫌な気持ちにならないように過ごせたら

仕事とか遊びとかうまくいくと、、思うんだよね、、

 

他人のこと考えすぎじゃねーー!??みたいなこと言われるけど

繊細な(笑)私みたいな思考する人間に

そういう無神経な言葉投げかけられるお前みたいなやつは

もう少し周り見なよね!!!!(個人的怒り)

 

というわけで10月も半ば。

思ってた2020年と違うけど残り2か月半頑張ります。

美しさ

「美徳は信じて裏切る早さ」というのは

私が大好きな鬼束ちひろの作詞ですが

この一節で「美徳」と「信頼は裏切られる可能性がある」という言葉を学びました。

この嵐が丘という名曲はリリースから17年経っても

意識の隅にずっといて、

自分にとっての美徳を突き進めるとき、

常に裏をその先を考えて思慮深く気を付けるようにしてます。

 

 

きっと今日この穏やかな春の陽気のなか、

世界中の人々が3.11に祈りを捧げる。

あの日も天気が良くて電車の中に光が差し込んでいたのを記憶しています。

自宅に帰れたのは確か4日後。

幸い友人、家族、自宅は無事でした。

でも友人たちの地元や実家やご家族が被災され

ふるさとが焼け野原になり、津波にのまれ、家が壊れ、様々なものを失いました。

東京で働く予定だった人が何人も東北へ帰っていくのを見ました。

 

災害のニュースを見るたび、平和を取り戻す自分の生活を顧みるとき、

なんて無力なんだと泣いていた日々。

ああ、自分の愛していた土地や風景が一瞬にして奪われるというのは

こんなにも悲しい。

平等に、無慈悲に繰り広げられる災害に立ち尽くすしかなかった。

なぜ起こってしまったのか、なぜこうなってしまったのか、なぜ助けられないのか…

そんな自問自答の連続でした。さながら漫画やドラマの主人公のように。

今思うと馬鹿らしいのですが、それだけ主観的にあの大災害を捉えていました。

 

私はとても感受性がつよく感情的なため

周りで起こる現象にかなり敏感です。

例えば千葉の台風、長野の地震被害、オーストラリアの大火災、

戦争の歴史、流行り病、とか。

悲しみに寄り添いすぎてしまい心身ともに疲れ果てるため

そういう時はテレビもやSNSから距離を取ります。

話すことが好きだし情報は受発信していきたいのに

感情が邪魔をする。

嬉しいことや楽しいことも人一倍だし

ささいな喜びや励ましの記憶はいつかの私を支えますが、

負の感情はいつまでも心に残って蝕んでいく。

いつの間にか繊細に育ってしまったことが恨めしい。

 

きっと同じように3.11で繊細になってしまった人がたくさんいると思います。

元々そういう気質だった人、そうなってしまった人、

気づいていないけれどなってしまっている人。

辛いけれど間違っていないと伝えたい。

前向きに明るくしていたい気持ちだけでは語れないことがたくさんあるでしょう。

その気持ちは閉じ込めていてもいいし、暴れさせてもいい。

誰も救ってなどくれないんだからその繊細な美しい気持ちを

どうか大切にしてあげてほしい。