美しさ

「美徳は信じて裏切る早さ」というのは

私が大好きな鬼束ちひろの作詞ですが

この一節で「美徳」と「信頼は裏切られる可能性がある」という言葉を学びました。

この嵐が丘という名曲はリリースから17年経っても

意識の隅にずっといて、

自分にとっての美徳を突き進めるとき、

常に裏をその先を考えて思慮深く気を付けるようにしてます。

 

 

きっと今日この穏やかな春の陽気のなか、

世界中の人々が3.11に祈りを捧げる。

あの日も天気が良くて電車の中に光が差し込んでいたのを記憶しています。

自宅に帰れたのは確か4日後。

幸い友人、家族、自宅は無事でした。

でも友人たちの地元や実家やご家族が被災され

ふるさとが焼け野原になり、津波にのまれ、家が壊れ、様々なものを失いました。

東京で働く予定だった人が何人も東北へ帰っていくのを見ました。

 

災害のニュースを見るたび、平和を取り戻す自分の生活を顧みるとき、

なんて無力なんだと泣いていた日々。

ああ、自分の愛していた土地や風景が一瞬にして奪われるというのは

こんなにも悲しい。

平等に、無慈悲に繰り広げられる災害に立ち尽くすしかなかった。

なぜ起こってしまったのか、なぜこうなってしまったのか、なぜ助けられないのか…

そんな自問自答の連続でした。さながら漫画やドラマの主人公のように。

今思うと馬鹿らしいのですが、それだけ主観的にあの大災害を捉えていました。

 

私はとても感受性がつよく感情的なため

周りで起こる現象にかなり敏感です。

例えば千葉の台風、長野の地震被害、オーストラリアの大火災、

戦争の歴史、流行り病、とか。

悲しみに寄り添いすぎてしまい心身ともに疲れ果てるため

そういう時はテレビもやSNSから距離を取ります。

話すことが好きだし情報は受発信していきたいのに

感情が邪魔をする。

嬉しいことや楽しいことも人一倍だし

ささいな喜びや励ましの記憶はいつかの私を支えますが、

負の感情はいつまでも心に残って蝕んでいく。

いつの間にか繊細に育ってしまったことが恨めしい。

 

きっと同じように3.11で繊細になってしまった人がたくさんいると思います。

元々そういう気質だった人、そうなってしまった人、

気づいていないけれどなってしまっている人。

辛いけれど間違っていないと伝えたい。

前向きに明るくしていたい気持ちだけでは語れないことがたくさんあるでしょう。

その気持ちは閉じ込めていてもいいし、暴れさせてもいい。

誰も救ってなどくれないんだからその繊細な美しい気持ちを

どうか大切にしてあげてほしい。