ミッドサマー(MIDSOMMAR)の感想

公開してすぐアリ・アスター監督の話題作、

「ミッドサマー」を見てきました。

楽しみすぎてあらすじもネタバレも一切読まず、

知っているのはポスターで女の人が泣いているということだけ。

そんな状態で観てきました。

様々な感想やネット考察を読むと

気づかなかったことや面白い設定が多々ありましたので

そういうネタバレも存分に含んだ感想を書きたいと思います。

 

 

 

観た人だけしか読まないと思うのであらすじや

登場人物は端折ります。

以下感想。

 

 

 

 

観終わった後の率直な感想はダニーが救われてよかったと思いました。

最初はクリスチャンの気持ちで物語を感じていて、

ダニーのリアルにいそうなメンヘラ具合とメンヘラってわかってるけど

対して応援していない女友達(電話で相談してた子のこと)とか、

クリスチャンの取り巻きとか。

泥沼までいかないけど、

人生かったるいのに余計な女まで連れてて、でも別れを切り出す意気地はない。

すべてを「めんどくさい」「無気力」「流れるままに」みたいな

テキトーにやり過ごしている若者感がすごい。

無造作な集まり方というか話し方とか空気の魅せがうまい。

自然と「いるよね~こういうやつ」と思わせてくる。

 

さっさと別れればいいのに応援している女友達も罪深いと私は思っています。

まあクリスと別れちゃったら自分に悲しみの矛先が向いて

大変だってわかってるし面倒だし応援だけしとくかって感じだよね。

メンヘラてのもあるけど、もともとの性格上ダニーは友達少ない。

空気読めないしパニック発作も起きるし

周りから自然と距離置かれちゃったんだろうな。推測だけど。

どうやって付き合ったか明記はないけど、

だからこそ一緒にいてくれるクリスに依存しまくってんだろうな。

 

冒頭数十分で濃密な人間関係の説明出来るってすごいよね。わかりやすい。

あともうずっとペレうさん臭いしなに考えてるかわからないし

みんなと一緒に悪口言うわけでもないけど応援もしてなくて

二人きりになった瞬間を狙ってくる。これが「外に出ている人」の働きなんだと

後々分かるわけですが、見終わるまでカルトって気づかなかった。

ホルガに研究しに行った学生と同じ目線になっちゃって、

だからこそダニー救われてよかったねって思ってしまった。

この「痛み」を少しずつ与えては「癒し」、

一致団結して「あなたは一人じゃない」って同調してくるの

マジで怖い。今思うと耐えられない。

 

誕生日を忘れていたくらいから私の視点は

ダニーに切り替わっていたと思う。みんなどうだろう?

ああいう小さな裏切りってめんどくさくて別れたい女だとしても

さすがに覚えとくのでは?クリスの非情というか無神経で我の強いところが

ホルガに来てから少しずつ、それこそ皮をはぎ取られるように

自然と露呈していき視点をダニーに移していく。

アウェーの状況でこそ人の本質はむき出しにされるわけですが、

異様な習慣や色彩や音楽やドラッグなど、すべてが判断力を鈍らせていく。

一人になれない共同生活、知らない村、空港からの距離といい

逃げ場がないことにも気づかず習慣を徐々に受け入れてしまうダニー達。

 

唯一冷静だったのは、最初に殺されたカップルだよね。

あの崖のシーンで異常さを感じ声を上げて「おかしい!帰る!」と理性が働いていた。

本来はああなるはずなのに、アメリカ組はちょっとオエっとしたり

興味津々だったり、家族の死と重ねたり。。

正直「それだけ」でしかない。フツーもっとあるでしょう!常識的判断!!

と思うけど、人間として少しずつ欠けている彼らにとって

ホルガ村は好奇心をくすぐられるおもちゃでしかない。

人が死ぬのはショッキングだけど自分には降りかからない、

招かれた客だからと高をくくっている。だから殺されるんだけど。

 

招かれたからって殺されない、被害はないなんて言いきれない。

それでも最後まで彼らは自分たちは守られている存在と

思っていた気がする。トリップしたダニーだけがホルガに染まって。。

 

私の感想「ダニーが救われてよかった」というのは、

ダニーの痛みというか心が解放されたのを自分と重ねて

エクスタシー・・というか心がすっきりしてしまったんですね。

まさにカルト!!みたいな集団なのに気づけず、

お花と衣装がきれいだなあ、タペストリーや壁画のフラグすごいなーと

傍観しておりました。

そしたら予想通りにどんどん事が運んで行って、

視点はダニーになっていき、部分的にはホルガの人の立場になり

こいつをどうやって上手いこと消してやろうと考え始める。。

自分もペレに連れてこられた一人になっていたのです。

映画の途中で大きな木(笛?)を持った少年がこちらを振り返りますが

その時ドキッとしたのを覚えています。

「お前もだ」って言われたような気がして。

劇的にではなくゆっくりと柔らかく取り込まれていくって何も感じないんですね。

 

何度思い返してみてもダニーにとっては救いになったと私は思います。

もしかしたら正気を取り戻すかもしれないけど、

そしたらまた洗脳すればいいタイプの子ですから。

ホルガからしたらちょろいもんです。

 

 

「90年の大祭自体が嘘・毎年行われている説」をツイッターで拝見しましたが

まさにその通りだと思います。

ホルガは意図的に口減らしを行いながら外部から招き入れている。

18~36の夏組が順番に外から友人を招きいれて祝祭を繰り返している。

燃やされたテンプルのそばのブルーシートは

前回や前々回の焼け跡を隠しているのでしょう。

でなければペレが見せてきた「前回のメイクイーン」の写真や

親が燃やされている発言と辻褄が合いません。

何気にボロが出ているのに終わるまで気づけない。。

もしかしたらずっと気づけないままダニーはホルガで生きていくのかもしれない。

(貴重な外部からの子宮なのですぐ殺されはしないと思います。)

 

新興宗教団体ホルガはいつからあんなことをしているんでしょう。

先祖の木は枯れているけどそんなに古い感じしないし。

なんなら家が建てたばっかりというか簡素すぎるというか。

本当に普段からあそこに住んでるのかなあ。冬寒くない?

冬農作物とれなくない?

口減らしされた人々の墓石もそんなに多くないし

ここ数十年程度の団体なのかなと推測しますが

72歳で死ぬシステムなので首謀者はもう死んでいそう。

 

 

鮮やかな花々と幻覚、不気味な音楽で視覚と聴覚を奪われ、

人間たちのいざこざとホルガの怪しさで

こっちがドラッグ決めたような気持ちよさに包まれる。

セラピーというかドラッグですね。五感を奪われて癖になってしまう。

自分はダニーになってしまった。

もう一度見に行きたい理由はなんだろうと考えましたが、

映画からの快感を得たいのか?初回に気づけなかった伏線を回収したいのか?

どれも正解だけど正解じゃない。

怪しくて面白いホルガとエロティックでスリルのある静かなあの空間で

私自身がダニーになりたいんです。

現実世界の苦痛をダニーに置き換えて楽しみたいんですね、きっと。

 

題材が題材なので警告的な感想や、民俗学的な視点からの考察、

カルトについて書かれている記事をたくさん読みました。

読んだけど私はダニーになってしまったので

このホルガからの洗脳はすぐには解けなさそう。

やばい村ってわかってるのにまた行きたくなるし。

 

人間ってこんなに簡単に思考停止させられるの?

させられちゃうんだなあ。

びっくりさせられることがない代わりに溶け込まれていく。

そういう怖さと「やばさ」を私は面白いと思いました。

 

また何か思い出したら感想書きます。

#ミッドサマー